このたびセイジ・オザワ 松本フェスティバル史上初の首席客演指揮者に就任した沖澤のどかさん。先日開催された記者懇親会では、就任にあたっての抱負から、2022年のサイトウ・キネン・オーケストラとの初共演、小澤征爾総監督とのエピソード、就任披露となる今年のオーケストラ コンサート Aプログラムの選曲の意図までお話しいただきました。懇親会の内容を抜粋でお届けします。
©2024OMF/大窪道治
──セイジ・オザワ 松本フェスティバル首席客演指揮者就任にあたって。
2022年夏、 松本で小澤征爾総監督が見守る中、《フィガロの結婚》上演しました。 あの時の興奮と感動は私の人生の中でも本当に特別なもので、死ぬまで忘れられない経験になりました。その松本滞在時に、小澤征爾さんから「これからもよろしく」と言っていただいて、その言葉の重みが、公演が終わって夢心地のフワフワしている中に、お腹の中にグッと大きな重い何かをいただいたような心地がしました。それはプレッシャーとか責任の重大さということだけではなく、自分を支える重さにもなっていると感じています。
──就任披露となるオーケストラ コンサート Aプログラムについて。
2年前の《フィガロの結婚》での体験が忘れがたく、あのサイトウ・キネンの音と人の声、歌声が合わさった時のあの浮遊感とか特別な魅力をもう一度味わいたいと思い、最初にR.シュトラウスの《四つの最後の歌》を提案しました。
《四つの最後の歌》でプログラムを終えたいと思ったんです。一番最後の終わりがとてもきれいで、自然に還っていくような、そういう印象があるので松本にピッタリだと思いました。ソプラノにはエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーさんという、ドイツ語の歌唱に優れた、声にとても深みのある素晴らしい歌手が来てくださいます。オーケストラとどんな反応を見せるかとても楽しみです。
前半の《夏の夜の夢》のメンデルスゾーンは、2015年にドイツに渡り、メンデルスゾーンの第一人者であるクルト・マズア先生の講習会で3週間にわたって叩き込まれたこともあり、私にとって特別な作曲家です。マズア先生が亡くなる1年前で、もうほとんど体が動かなかったのですが、「指揮ってなんだろう?」と思わせるような本当に特別な音がするんです。人間から醸し出す何かがここまでオーケストラの音を変えるのか?というのを目の当たりにして…その時の音色をずっと覚えているので、もしそれを実現できるとしたら、サイトウ・キネンかもしれないと思い選曲しました。
R.シュトラウスの《ドン・ファン》は、日本で初めて優勝したコンクールのファイナルで演奏した特別な思い入れのある曲でもあります。《四つの最後の歌》の地平線を見渡す様な感じとはまた違い、とても躍動感のある、人の血が燃えたぎるようなエネルギーに溢れています。それが良い対比になるかと思いました。
プログラムを通して、作曲家が文学や戯曲*に発想を得て仕上げた作品という繋がりもあります。
*《夏の夜の夢》はシェイクスピアの戯曲、《ドン・ファン》はレーナウの詩、《四つの最後の歌》はヘッセとアイヒェンドルフの詩に発想を得ている。
──2022年《フィガロの結婚》でのサイトウ・キネン・オーケストラとの初共演について。
オーケストラリハーサルの初日、まさにリハーサルが始まる直前に(指揮台のあたりに)大画面が用意されて、まだご自宅にいらっしゃった小澤征爾さんからオーケストラの皆さんに激励の言葉があったんです。画面が点いた瞬間に、背筋が伸びる、オーケストラの皆さんの空気がパッと変わる。リハーサルを控えて吐きそうなくらいに緊張している自分と、ここに映し出されている「小澤征爾」という存在は同じ指揮者と言ってはいけないような存在で、その人が何を振るかという以前に、オーケストラにとってどういう存在で、今までどういうことを共有してきて、どう尊敬し合ってというのを、そこの空気がパッと変わったそれだけで肌で感じました。
©2022OMF/大窪道治
その後、(シャルル・)デュトワさんがシンフォニーコンサートのリハーサルをされている時に、見学させていただいたのですが、そこで松本入りした小澤征爾さんが指揮をされたんです。私はもう涙が止まりませんでした。本当にすごい音がしたのと、オーケストラの皆さんの顔つき、小澤征爾さんの眼力、言葉にしたら嘘になりそうなくらいの濃密な時間と関係性があって、そこに居れてよかったなと思いました。
私が松本でポジションをもらうということは、そこに入るということとはまた違うんだろうな、と思いました。ですので、それを見せてもらえたというのは、具体的には言えませんが、サイトウ・キネンのそのままの姿を見せてもらえたので良かったと思いました。
──2022年《フィガロの結婚》のリハーサル/本番について。
特に印象に残っているのは、リハーサル初日の「序曲」が始まった瞬間の、音楽が空気を動かすその感動です。コントラバスとファゴットとチェロの音、オペラの本編に出てこないテーマではあるのですが、もう走馬灯のように全幕が見えるような、それくらいインパクトがある。コントラバスの方から、すごい風が吹くような感じがして、思わず目を見開いてしまって…。あの音を聴いた時にこれはとんでもないことになるかもしれないと思いました。
©2022OMF/大窪道治
あとは、歌手が入ったときの2幕のフィナーレ。テンポもころころ変わり、出演者もたくさん出てきたり、本当に大変な場面なのですが、そこが自動的にいったなと。それまで歌手と築き上げてきたもの、オーケストラとリハーサルしたもの、だけではなく、そこに何か音楽の必然性があって、それをたまたま皆で持ち合わせる、そういう感じがすごくして、不思議とリハーサルを重ねる毎に気持ちが軽くなっていったのを覚えています。「大丈夫、もっといける」という感じで、むしろ本番が楽しみで、3回の本番がどれも全然違いましたし、サイトウ・キネンの持っている魂、そういうものが音楽にそのままに繋がっているような気がしました。そこに人間のエゴなどはなく、それがモーツァルトにもぴったりきて、とんでもないオーケストラだなと思いました。
©2022OMF/山田毅
©2022OMF/山田毅
──小澤総監督からの言葉で印象に残っていることや学んだことは?
本当に短い一言だったんですが、「モーツァルトのオペラを」ということを一言力強くおっしゃって、それで何か託されたなと思いました。すぐにこの先モーツァルトのオペラだけ取り上げるという意味ではないですが、私の音楽人生をかけてモーツァルトのオペラに取り組みたい、それまで 自分で思っていたことでもあったので、背中を押してもらえたような気持ちです。
©2022OMF/山田毅
何か学びを活かすというような存在ではないです、あまりにも遠くて。だけど子どもの時からずっと聴いていましたし、学生のときはリハーサルを見学させていただいたりしたので、私の音楽や人生そのものに影響を与えている人ですし、ヨーロッパで日本人として今なんの疑問もなく音楽ができるというのは、やはり小澤征爾さんの存在にとても恩恵を受けていると思います。
©2022OMF/大窪道治
──フェスティバル史上初のOMF首席客演指揮者就任について、どう受け止めてますか?
サイトウ・キネン・オーケストラは、子どもの頃の私にとって特別な存在でした。伯父がクラシック音楽の愛好家で、趣味で楽器もやっていたのですが、とにかくたくさんCDが家にあって、その中でも特に多かったのが小澤征爾さん指揮のサイトウ・キネンのCDだったんです。子どもの頃から聴いているオーケストラは特別。サイトウ・キネンは海外から来るオーケストラのような雰囲気が漂っていて、大きな憧れだったんです。
2022年に、そのサイトウ・キネンの前に立つというときは、本当に信じられないくらいに緊張して、自分の憧れを自分で壊してしまうかもしれないという怖さがとても大きくて怖かったんですけれども、リハーサルが始まったらそんな不安は吹っ飛ぶような素晴らしい音でそれで一気に本番まで駆け抜けました。
就任するにあたっては、初めてのポジションということで、自分でやれることはどんどん探していかないといけないし、とても責任のある立場だと思うのですが、とにかく気負わずに、素直に音楽をやればこの先にどういうことをすべきかが自ずと見えてくると思っています。
──今回はOMFオペラや子どものためのオペラで《ジャンニ・スキッキ》を日本の気鋭の歌手陣の皆さんと小澤征爾音楽塾オーケストラと演奏します。
音楽塾の良いところは、各楽器にコーチがついて、かなり長い期間稽古するんですよね。そこであわよくば自分も学ぼうと思っています。自分が教える立場とは今のところ感じていなくて、一緒にどう変わっていけるか、そして若い奏者たちがオペラを好きになってほしいと思います。
子どもの頃から器楽をやっていると、歌手はその日の調子で違ったり、楽器の都合とは全然違うところが多々でてきます。そこで、オペラって面白いな、人の声って面白いなって、そういうふうに思ってもらえるように一緒に学んでいけたらいいなと思います。
──今後のOMFへの想いについて。
当初から(首席客演指揮者の)就任発表は2月に予定していたのですが、小澤征爾先生がお亡くなりになったので、「四十九日は発表を延期しませんか?」とフェスティバルの事務局に提案したんです。そうしたら「小澤征爾はそんなこと言うわけない、すぐに未来のことを発表していった方がいい」と返ってきてハッとしました。それがやはり小澤先生と一緒に作ってきた人たちが(立ち止まるという考えを)一蹴するというか、考えが全くない、とにかく先を見ていくべきだなと思いました。
いま齋藤秀雄先生から直接教えを受けた方々、その世代がもう少数になってきているので、その方々から若い世代にどう受け継いでいくかというところを一緒に見ていきたいと思いますし、これまでの音ということにこだわりすぎずに、今、ここで最高の音楽をする、世界中から最高の奏者を集めて、松本で今世界で一番良い演奏をする。具体的な齋藤先生の教えや、小澤先生はこうしていた、そういうことに囚われすぎずに、新しいこともどんどん始めていくべきだと思います。
これまでのサイトウ・キネンをよく知るということと同じくらい、この先のサイトウ・キネンを発展させていくという、その両方を同じ重さを置いて活動していきたいと思います。
──松本についての印象は?
夏の松本は本当に特別な空気感があるんです。うまく言葉にできないのですが、街全体が一丸となって夏を、OMFを盛り上げる。街を歩いているだけで幟がたくさん立っていたり、小さいカラフルな(OMFの)Tシャツがディスプレイされていたり、街をあげての音楽祭という雰囲気が伝わってきます。
お客さんもサイトウ・キネンの皆さんも小澤征爾音楽塾の皆さんも、やはり松本での顔があると私は感じます。日本のどこのオーケストラに行っても「松本楽しかったね」って、誰かが声かけてくれるので、本当にかけがえのない経験になったなと思います。松本で一緒に過ごしたことが、どれだけ私の今のキャリアで支えになっているか、本当に計り知れないんです。
©2022OMF/山田毅
©2022OMF/大窪道治
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記者懇親会:2024年6月13日
関連公演
2024年8月10日(土)、11日(日) キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)
指揮:沖澤のどか(OMF首席客演指揮者)
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
2024年8月25日(日) まつもと市民芸術館・主ホール
子どものためのオペラ ※教育プログラムのため、一般の方のご入場はできません。
2024年8月26日(月)、27日(火) まつもと市民芸術館・主ホール
指揮:沖澤のどか(OMF首席客演指揮者)
演出:デイヴィッド・ニース
出演:町 英和(ジャンニ・スキッキ)、藤井玲南(ラウレッタ)、澤原行正(リヌッチオ)ほか
演奏:小澤征爾音楽塾オーケストラ