Interview
インタビュー

会田莉凡さん(ヴァイオリン)

いつも元気一杯、会うとこちらがエネルギーをいただくヴァイオリニストの会田莉凡さん。幼いころからヴァイオリンを続けていたものの、小澤総監督が率いるアカデミー奥志賀に出会うまでは本気で向き合うことはなかったのだとか。2013年のフェスティバル初参加から、思い出の公演、今年楽しみにしていることなど、たくさんお話くださいました。

会田莉凡さん

「ここの音楽はどういう情景を表してるの?」と言われた時、ハッとしました。

―5歳からヴァイオリンを始められたんですね。

私は1990年7月5日生まれなのですが、その日はヴァイオリニストの諏訪内晶子さんがチャイコフスキー国際コンクールで優勝された日なんです。このニュースを両親がテレビで見て「ヴァイオリンやらせたいね」となったそうなんですよね。父はかつて音楽レーベルに勤めていたプロデューサー、母はポップスシンガーでした。3歳から桐朋学園大学音楽学部附属の「子どものための音楽教室」目黒教室に入り、ソルフェージュというか音遊びからはじめました。5歳でピアノかヴァイオリンかを選ぶので、ヴァイオリンを選びました。私は一人っ子で自分の意志があまりなく、親がずっと勧めていたヴァイオリンを選んだ感じ(笑)。音楽教室の先生がデモンストレーションでヴァイオリンを演奏してくださったのですが、初めて間近で音を聴いたので、教室の生徒みんなで「うるさーい!」って耳を塞いだという、失礼なことをしたのは覚えています(苦笑)。

ヴァイオリンは好きでしたが1日1時間程度しか練習しなかったので、全く上手くならなかったんです。小学校から進学校に通っていて、勉強できる子が周りに多いことが分かった頃に、その子たちが「莉凡はヴァイオリンがあるからいいよね」と言ってくれて「そうか」と思いました。
音楽教室には高校受験まで通いましたが本当に楽しくて、先生や友達に恵まれていたこともあり、ヴァイオリンが嫌になることはありませんでしたね。練習しなさいと親にきつく言われることもなく、本当にのんびり、お稽古ごとの延長線みたいな感じで通っていました。先輩たちもみんな高校から桐朋に行って楽しそうだったので、自分もおのずとそうなりました。

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2019年OMF オーケストラ コンサートでのリハーサルの様子。

―ヴァイオリンを真剣に演奏し始めたのはいつ頃ですか?

それが分からないんですよね...。桐朋の高校に入りましたが、音楽教室と同じく、とりあえず学校に行くのがすごく楽しくて、学校生活を目いっぱい楽しんでいました。多分、学校の中で一番エンジョイしてたんじゃないかな(笑)
小学2年生から音楽教室で弦楽アンサンブルに参加し、それがとても楽しかったのを覚えています。ご指導くださっていた先生方は、みなさん齋藤秀雄先生の教えを受けたちょっとご年配の先生たちでした。こちらはまだ8歳とかなのに一人ずつ弾かされたりして、厳しかった故に合奏の楽しさというのを知ることが出来ました。私はこの経験からアンサンブルが好きなんです。
高校に行き、さらに大学はソリスト・ディプロマコースというソリスト専門のコースでしたが、オーケストラと室内楽ばかりをやっていました。このコースだとオケの必修単位はゼロなんですが、4年間で7単位くらい取って卒業したんじゃなかったかな(笑)。珍しいとは言われましたが、すごく良い経験をさせていただきました。1年生からコンサートマスターを任せていただいて、チョン・ミョンフンさんやマルタ・アルゲリッチさんといった素晴らしい音楽家の方々と演奏させていただきました。学費のモトは取れたかと(笑)。ソロのヴァイオリニストになりたいというより、最初からオーケストラに入りたいと思っていました。ソリストになることには、そこまで興味が持てなかったのです。

―会田さんは小澤総監督が立ち上げた、若手弦楽奏者のための「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」に長年参加されました。初参加は2011年ですか?

実は、2010年の(アカデミー奥志賀の前身である)「サイトウ・キネンの『若い人のための室内楽勉強会』」(*1)から参加しています。当時は推薦を頂かないとオーディションを受けられなくて、私はフェスティバルに参加している先生には習っていなかったこともあり、ご縁が無かったんですよね。それに、そんなところに行けるような実力でもなかったので「あれは雲の上の人たちが行くアカデミーだ」と思っていたんです。
ところが、2009年大学1年生の時、尾高忠明さん指揮の音楽大学フェスティバル・オーケストラでコンマスをやった際、ある音楽事務所の方が「あのコンマスの子は誰?」と言って下さり、そこからつながっていきました。2010年の奥志賀は新規オーディションが行われなかった年だったのですが、一人欠員が出て「莉凡ちゃん受けない?」と特別にオーディションをしていただいたんです。本当にラッキーでした。

当時の私は留学経験も、国際コンクールも、海外のセミナーも受けたことがない大学生でした。つまり、外国の子たちと一緒に弾くという経験がありませんでした。講師は川崎洋介先生、川本嘉子先生、原田禎夫先生。それまで受けてきたレッスンでは「ここが弾けないからどういう練習をしたらいい」とか「こういう指の動かし方、弓の動かし方があるよ」といった話が主だったのですが、そういった教育の幅を超えた、音楽に対する気持ちが会話の中心だったんです。「ここの音楽はどういう情景を表してるの?」と言われた時、ハッとしました。今まではそういうビジョンが何も無く、とりあえず楽譜に書かれたものを弾いていたんだなと気づかされたんです。音楽に、自分の心をリンクさせるというのをまったくしていなかったんですね。
そして、禎夫先生から学ぶカルテットのやり方。すごかった。たった4人でこんなにぶ厚い音を出せるのかというのを学び、大きなショックを受けました。勉強会は2010年の7月後半から8月頭まででしたが、あまりに自分に足りてないことが多すぎると痛感し、9月の頭にエントリーしていたイタリアのコンクールを棄権したぐらいです。今の自分では受けに行くべきではない、とりあえず奥志賀で得たものを消化したいと思って。
それまではお稽古事でのんびりやってきましたが、考えてみると奥志賀がターニングポイントかもしれません。「私は音楽も好きだしアンサンブルも好きだけど、何にも分かっていなかった」ということに気づいたんです。先生たちの言うことの意味が分からなかったんですが、なんとか分かりたいと思いました。

―奥志賀に小澤総監督はいらっしゃいましたか?

最初に小澤先生がいらっしゃった時は「本物だ!」と思いました。忘れもしない、あのスポーツハイム奥志賀の食堂の外から入ってくるお姿を見て、「世界のオザワ、来た!動いてる!」みたいな(笑)。ずっと"CDの中の人"だったのですごく興奮しました。

覚えているのは、小澤さんがみんなのことを見る、ということです。後ろの方の人たちとも必ず、一人一人に目を合わせながら指揮をされる。それって何の意味があるのかなと考えていたんですが、目を見ることで、その人がどういう風に音楽を感じているかというのを小澤先生は感じ取れるんだろうなと思います。目を合わせると、心が動きますよね。そうすると、私も出したことがないような音が出て、それにものすごく感動し、全身全霊で弾きました。

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2014年SKF バックステージでの1枚。小澤総監督と。

―松本のフェスティバルには2013年に初めてご出演いただきました。出演依頼の経緯は覚えていますか?

大学4年生(2012年)のとき、卒業試験が終わり1週間の休みがあったのでどこかに行こうと思っていたら、指揮科の先輩からメールで「指揮レッスンで、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を全楽章弾ける子を探しています。莉凡ちゃん誰か知りませんか?」と聞かれたんです。翌年の3月に小澤征爾音楽塾の公演で三浦文彰君がドヴォコンを弾く予定なのを知っていたので、「小澤先生がいらっしゃるレッスンかも?」と思ったので「私やります!」と返信したんですが、正直、譜面も持っていない、全くやったことがない曲でした(笑)。ドヴォルザークのコンチェルトは30~40分の楽曲ですが、とりあえずその足で譜面を買いに行き、譜読みをし、徳永二男先生に1回レッスンをしていただいて、1週間後にリハ当日を迎えました。
指揮の垣内悠希さんのレッスンでしたが、1週間で仕上げたことは黙っておこうと思っていましたが、弾く前に「莉凡ちゃん、この曲1週間で譜読みしたらいんですよ」と伝えられた小澤さんは「えー!」と驚かれていましたね。「ちょっと弾いてみて」と言われ弾き始めたら、1楽章全部弾いちゃったんです。そしたら「ここはもうちょっと次の小節に向かったほうがいいね」といったアドバイスを下さり「じゃあ2楽章!」となって、結局フルで全楽章を聴いてくださいました。そんなに上手く弾けたわけではないんですが、小澤先生に私のパッションが伝わったみたいで、終わったときにすごく喜ばれて、ハグされて、「あんたすごいねー!これ1週間でやったの!!」と言ってくださって。奥志賀に行っていたので顔と名前も覚えていただきました。それから3か月後の卒業式の日に、SKOのオファーをいただきました。車の中でオファーのメールを受け取ったのですが、何度も読み、やっと意味を理解して、すっごい興奮しました! 最高の卒業プレゼントでした。

―2013年初参加での思い出を教えて下さい。

オペラとオーケストラ公演、全部で演奏しました! それ以降もすべて全乗り(*演奏すること)させていただいています。
最初のリハーサルはラヴェル:オペラ「子どもと魔法」で、私にとって人生初のオペラ。初めてがSKOって、本当に贅沢です。最年少(当時22歳)だったのですが、周りは先生方ばかり、気軽にお話しできない方ばかりでした。豊嶋泰嗣さんや矢部達哉さんもテレビでしか見たことがなかったので緊張しましたが、最年少で入れていただいたからにはとりあえず存在を示さないといけないと思い、元気良く挨拶して名乗る、ということをしました。「会田莉凡です!初めて参加します!よろしくお願いします!」みたいな挨拶を全員に言っていた気がします(笑)

「子どもと魔法」は小澤さんの指揮でした。その年は、潮田益子さん(*2)が亡くなった年だったんです。「益子のために、(モーツァルトの)ディヴェルティメント2楽章を弾くよ」と小澤先生がおっしゃって、それをオーケストラピットで弾きました。私、初めて聴いたオーケストラのCDが、ディヴェルティメント、アイネクライネナハトムジーク、チャイコフスキーの弦楽セレナードが入ったSKOのCDで、これを呆れるほど聴いていたんです。だからディヴェルティメントのリハのとき「うゎー本物だ! CDで聴いたのとまったく同じ音がする!」と感動しました。このディヴェルティメントの演奏は忘れ難いです。

―初めてのオペラはいかがでしたか?

「子どもと魔法」はヴァイオリンの音が少なく、譜読みは意外と簡単というか、技術的に難しくてどうしようもない! というところは一か所もありませんでした。スコアを買って読んだりしていましたが、まだオケの経験も少なかったので「音は少ないし、何の意味があるのかな」と思っていました。だけどリハで音を出したら、場面に沿った風や匂いというのを、ヴァイオリンのたった一つの2分音符や伸ばす音が担っているんだ、意味があるんだと強く感じました。普通のオケだと分からないかもしれませんが、SKOだと皆さんが自分で感じたことをそのままやっているので、それを見たり音を聴くと「なるほど、そうやってやるんだな」と分かるんです。
また「子どもと魔法」は舞台がかわいかったですね。ディズニーランドのアトラクションに来たんじゃないかといった感じで、本当に素晴らしかったです。ファーストヴァイオリンは休みも多かったので、舞台上をよく見てました。
オーケストラ公演は大野和士さんの指揮で、R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を弾きました(*3)。どれだけ弾いても自分の音がオケの中で聴こえなくなるという、初めての経験をしました(笑)。「ツァラトゥストラ」も「子どもと魔法」も、すっごく楽しかったです。

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2013年オペラの初日リハーサル。会田さんのフェスティバル初日。オペラ・プロデューサー(当時)の森安敦さんにご挨拶をしているところ。

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2013年SKF オーケストラ コンサート本番の1枚。フルートの前に会田さん。

そのような「引き算」の合わせじゃなくて「足し算」の合わせなんですよね、SKOは。

―会田さんは奥志賀での小澤さんもご存知ですが、SKOでの小澤総監督はいかがでしたか?

SKOには小澤先生が高校生くらいの時から、古くは「音楽教室」から一緒の人たちがいらっしゃるので、先生が少年に戻ると言いますか、童心に帰られているような気がしました。
音楽に対する想いについては、小澤先生は自分の仲間たちに対しても、海外アーティストに対しても、塾生や私のような若い人に対しても、同じように接していらっしゃるんだなと思います。本当に純粋に「良い音楽をやりたい」というのが一番なんだろうなと。偉ぶることは決してなく、小澤先生はいつも一生懸命です。

―その後はほぼ毎年ご参加頂いています。印象に残っている公演は?

「子どもと魔法」も印象的なので迷うのですが...2014年のベルリオーズ:幻想交響曲でしょうか。3回とも素晴らしい演奏でしたし「音楽は生ものなんだ」と思いました。リハを積んで3公演やっても、毎回表情が違う。幻想交響曲のようにストーリーがハッキリした曲だと皆さんの感じ方も違うし、その当時の私には分からなかったかもしれませんが、もしかしたら小澤先生の振り方もちょっとずつ変化していたのかもしれません。終わった後に泣いていたメンバーも多かったです。圧倒的な演奏でした。

SKOのすごいところは、どこの席に座っていても全員が絶対にその個性を消さないことだと思います。普通のオケだと「合わせなきゃ」みたいな感じで、ちょっと個性が消えたりすることもあるんですよ。特にヴァイオリンは16人もいるので、合わせるためにあえてそうすることがあります。そのような「引き算」の合わせじゃなくて「足し算」の合わせなんですよね、SKOは。それだけ全員が自分の意見があるということだし、実力も無いとできないことです。そういうぶつかり合いで生まれた圧倒的なパワーは唯一無二。私は一番後ろに座ることが多いですが、自分の存在は絶対に消さずに、自分の意思も大切にしようと色々考えて演奏します。
マーラーの交響曲9番を演奏した時も一番後ろに座りました。4楽章でG線をハイポジションで弾かないといけないところがあり、楽器を上げないと弾けないのでグッと上げて弾いてたら、その姿がハープ越しにラデク・バボラークさん(ホルン)にバッチリ見えていたようなんです。演奏が終わった後のパーティーで、バボちゃんが私を見て「あー!」って叫ぶから「何だろう、人違いかな」と思っていたら、「きみ、一番後ろなのにすごく一生懸命に弾いていて、とっても良いと思ったんだ! あんなにアグレッシブに弾いてくれてる人はあんまり見たことないよ!」みたいなことを言ってくれたんです。「またまた、ベルリン・フィルにはよくいるだろう」と思いましたが嬉しかったですね(笑)。弾いている姿がホルンのベルアップ(ベルを高く持ち上げて演奏すること)みたいだと言われ、それからバボちゃんは私のことを「ベルアップちゃん」と呼んでくれるようになりました(笑)。みんな、一番後ろの人のことまで見てるんだなあと驚きました。

松本で弾いている時のパワーの出し方って、なんだか独特なんです。SKOでの演奏を身体が覚えてしまうので、松本で演奏したことがある楽曲を他の場で弾くと、あまりの気持ちの強さにハッとなります。私にとって、自分の中からあふれ出す何かを止めずに演奏できる場がSKOだと思っています。SKOに参加すると、心が豊かになりますね。

―会田さんは室内楽公演にもご出演いただきましたね。

忘れもしない、2015年のことですね。オーケストラ コンサートにも、オペラにも、ふれあいコンサートにも乗り、小澤先生の80歳バースデーコンサートではSKOと奥志賀アカデミー生として、2回も演奏の機会がありました。たぶん、今までで最も忙しい夏だったと思います。
室内楽公演のふれあいコンサートは忘れ難いです。今井信子さん(ヴィオラ)たちと、シューベルトの八重奏曲(*4)を演奏しましたが、自分の音が聴こえなくなるくらい、周りの皆さんの音がすごかったんです。共演させていただいた竹澤恭子さんは本当に憧れのヴァイオリニストで、大学1年の時に特別公開レッスンを受けたり、学校の図書館で、竹澤さんのバルトークの協奏曲のDVDを何度も見たりしていました。そんな竹澤さんと、まさか一緒に弾かせていただけるとは思ってもいませんでした。他のメンバーも個性派ぞろいで、語り口豊かなシューベルトにずっと魅了されていました。ふれあいコンサートに出演させていただいたのは、自分にとって信じられないぐらい良い経験となりました。

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2015年OMF ふれあいコンサートI。

―今年も全乗りで、オーケストラ コンサートAプログラム、Bプログラム両方で演奏いただきます。抱負を教えて下さい。

8月29日に演奏するメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」は大好きな曲なので、とても楽しみにしています。私はメンデルスゾーンのシンフォニーが好みで、編成が大きな曲ほど好きですね。大好きな楽曲をSKOの音でやれるかと思うと心から楽しみです。
デュトワさんの指揮で演奏するのは初めてになります。「マ・メール・ロワ」等どういう風に指揮されるのか、楽しみです。去年がなかった分、フェスティバルでしか会えない方々がたくさんいるので、そういった皆さんにお会いできるのも楽しみです。

-久しぶりに松本にも行けますね。

まずは珈琲美学アベでモーニングを食べる!まつ嘉のうなぎも食べたいし、キッセイだとガレージにも行きますよね。ズッカのイタリアンにも行きたいし、開運堂のアイスも食べたいです。知ってます?日替わりソフトクリーム。なんと、ロボットがアイス作ってくれるんですよ。もう、去年のうちから行きたいお店を挙げています(笑)

―ありがとうございました。


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松本市内では宿泊先からリハーサル/公演会場まで自転車で通うメンバーも多い。会田さんは約1時間におよぶ距離を歩いたり、自転車に乗ったりとアクティブ。初年度は標高の高い松本の紫外線の強さを知らず、かなり日焼けしたのだとか。

インタビュー収録:2021年6月
聞き手:OMF広報 関歩美

*1:長野県の奥志賀高原で夏に開催される、弦楽四重奏を学ぶための教育プロジェクト。現在は「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」というNPO法人として続いている。

*2:1987年の第2回SKOヨーロッパ・ツアーからご出演いただいた世界的ヴァイオリニスト。小澤総監督とは水戸室内管弦楽団でも共演を重ねた。最後のフェスティバル出演は2007年。2013年5月に他界され、その年のフェスティバルでは「子どもと魔法」公演初日、追悼としてモーツァルト:ディヴェルティメントニ長調 K.136の第二楽章が演奏された。

*3:2013年SKF オーケストラ コンサート
9月3日(火)、9月4日(水)キッセイ文化ホール
指揮:大野和士
モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調K319
リゲティ:フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲(日本初演)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」op.30

*4:2015年OMF ふれあいコンサートI
8月23日(日)
松本市音楽文化ホール(ザ・ハーモニーホール)
ゲルスター:ティンパニと弦楽のためのカプリチェット
 ソロ・ティンパニ:ローランド・アルトマン
 サイトウ・キネン・オーケストラ弦楽アンサンブル
シュワントナー:ソロ・マリンバのためのヴェロシティーズ
 マリンバ:竹島悟史
フェルドハウス:ゴールドラッシュ
 パーカッション:竹島悟史、藤本隆文
シューベルト:八重奏曲へ長調 D.803
 ヴァイオリン:竹澤恭子、会田莉凡
 ヴィオラ:今井信子
 チェロ:辻本玲
 コントラバス:池松宏
 クラリネット:チャールズ・ナイディック
 ファゴット:マーク・ゴールドバーグ
 ホルン:ジュリア・パイラント