竹原美歌さん&ルードヴィッグ・ニルソンさん(パーカッション)
オーケストラを後方から力強く支えるパーカッション・セクションに、2005年からご夫婦そろってご出演頂いている竹原美歌さん&ルードヴィッグ・ニルソンさん。パーカッションとの出会いから、お二人が感じる小澤総監督の指揮について、遠く離れたスウェーデンからリモート・インタビューに応えて頂きました。
SKOの音を聴くと"何でも出来る"という気持ちになりますが、
これは音楽家それぞれの能力あってこそ、でしょうね。
―それぞれ、パーカッションを始めたきっかけを教えて下さい。
ニルソン:太鼓に恋をしたんです。その音が大好きで、太鼓やドラムセットを叩きたいと思うようになりました。11歳の頃に音楽学校に入り、そこのウィンド・オーケストラでドラムに触れるようになり、ドラムの他にもたくさんの楽器があることを知りました。シンバルやトライアングル、メロディーを奏でられるようなグロッケンシュピールなどです。学校でサマーキャンプに行ったとき、パーカッションをとっても上手に演奏する自分と同世代の子たちを見て、それに刺激を受けてドラム以外の楽器も始めました。
竹原:私は2歳の頃からピアノを習っていましたが、9歳の時に父親がカリフォルニア大学サンフランシスコ校で研究者として働くことになり、アメリカに引っ越しました。そこでは、毎週水曜日のお昼になると、ジャマイカのミュージシャンがキャンパスにやってきて、コンガを演奏していたんです。とっても自由に、全部が即興のように演奏していて、200人近くの生徒がその音に合わせて毎週踊っていました。私はそのコンガの音が大好きで、それでルードヴィッグと同様、太鼓を演奏してみたいと思いました。音楽学校に入り、オーケストラの中で演奏することで、他の楽器を知っていきました。
―竹原さんが初めてフェスティバルにご出演頂いたのは2000年でした。出演オファーを受けた時のお気持ちを教えて下さい。オファーは電話か手紙、メールで受け取られたのですか?
竹原:ファックスでした! 当時すでにスウェーデンに居たのですが、自分の家にはファックスが無かったので、学校に送られてきたんです。「日本からファックスが届いてるわよ」と友人から言われて、受け取ったらフェスティバルからの出演依頼だった。驚きましたし、とっても、とっても、とっても嬉しかったです。
出演オファーを頂いたのは、私の先生だった高橋明邦先生のおかげだと思っています。高橋先生は、齋藤秀雄先生の門下生でした。1984年にSKOの基となるオーケストラが結成されたとき、メンバーとなったのは桐朋学園で齋藤先生に教わった生徒さんたちでしたよね。2000年は(パーカッション・セクションの)メンバーが体調を崩されたので、私にオファーが回って来たんだと思います。出演依頼を受けたのはSKOではなく、室内楽アンサンブルの、タン・ドゥンさんのコンサートでした(*1)。ローレンス・レッサーさんと一緒にパーカッションを担当しました。
『イェヌーファ』のオペラをやった2001年が、SKOで演奏した初めての年でした。松本市総合体育館で、1000人合唱もやりましたよね(*2)。スウェーデンではまだ学生をしていた時代だったので、よく覚えています。
2001年SKF ふれあいオーケストラ・コンサート ―サイトウ・キネン・オーケストラと1000人の合唱― 写真左でかがんでいるのが竹原さん。写真が暗くて見えづらいが、白シャツを着用した女声合唱の後ろには、蝶ネクタイ姿の男声合唱がズラリと並んでいる。
―初めてSKOで演奏した時の感想はいかがでしたか?
竹原:自分の体のすべてのエネルギーが吸い取られていくようでした。小澤さんはいらっしゃるし、世界的に有名な奏者に囲まれているし、すべてが特別で、ホンモノで、大きく感じました。かつて私にヴァイオリンや声楽を教えて下さった先生方もメンバーでした。自分の理想としていた方々に囲まれて演奏する経験は素晴らしいものでした。もちろん緊張して興奮しますし、プレッシャーも相当でした。
―初フェスティバルで特に記憶に残っていることはありますか?
竹原:演奏会が終わった後、小澤さんが私のところに来てこう言ったんです。「パーカッションのことはよくわかんないんだけど、あんた良かったよ!」 この出来事はよく覚えています。あと覚えているのは、リハーサル中にトライアングルのことをおっしゃりたくて「ねぇちょっと、その、三角形の、ほら・・・なんて楽器だっけ?」って言われたこと(笑)。手で三角形を作りながら「なんだっけ?」って言われて、とっても面白かったです。温かい心をお持ちの小澤さんと一緒に演奏するのは、いつも楽しいです。
―ニルソンさんにお伺いします。初めてSKOで演奏されたのは2005年でした。その時の感想を教えて下さい。
ニルソン:出演オファーを頂いたときは、もちろんとっても嬉しかったし、光栄に思いました。すでに美歌が出演していたので、(オファーを受ける以前から)松本に1週間ほど滞在し、リハーサルを聴くことはしていました。スウェーデンのオペラは他より早く始まるので残念ながら公演まで立ち会えたことはなかったのですが、素晴らしい音楽家が集まるSKOの音と、セイジの指揮を見て、聴くことができるのは、本当にエキサイティングでした。僕も出演できることになり、ワクワクしたのと同時に怖くもありましたね。僕自身にとって大きなチャレンジだと感じました。
2005年SKF シェーンベルク:グレの歌(セミ・ステージ) 竹原さん&ニルソンさんが初めてSKOで共演された公演。写真右奥、チューバの後ろにいらっしゃる。
―SKOの特色は何だと思われますか?
ニルソン:セイジは、世界中の名門オーケストラから、とても有名な音楽家を集めてオケを結成します。プログラムを見たら、ヴァイオリン・セクションの出演者はほぼ全員がどこかのコンサートマスターだった、ということに気づいたこともありました。SKOは別次元のエネルギーが集まる場所であり、ソロ志向の強い演奏スタイルだとも思います。メンバー全員がソロ奏者のように演奏するとバラバラになりがちですが、一緒にまとまると巨大なエネルギーに化ける。決して溶け合うのではありません。このエネルギーを耳にできるのはゾクゾクします。SKOの音を聴くと"何でも出来る"という気持ちになりますが、これは音楽家それぞれの能力あってこそ、でしょうね。
竹原:私も同感です。どの演奏家も長い経験を積んでいて、自分の強み・弱みを熟知している。そして音楽家として長年鍛錬を重ねてきています。特にSKOだと、どの演奏家も個性が強い。初対面の人たちと一緒に仕事をするのはたまに骨が折れる作業ですが、音楽が始まった途端そんな違いは感じなくなります。逆に川のような流れを感じるんです。半日もすれば意気投合し、あとは「イケるね!」と言う感じになる。一緒に演奏する際の難しさ、例えばタイミングや細かいディティールのズレなど、繊細な違いも無いのです。リハーサル中に話すのは、技術的なことではなく、もっぱら音楽の感情や、音色ど。ハイレベルな内容ですね。
―パーカッション・セクションには複数人数がいることが多いですが、グループ内でのコミュニケーションはどのように進むのですか?
竹原:リハーサルが始まる前に、誰がどの楽器を演奏するか、というのは決めておきます。「この楽曲でのタンバリンが一番うまいのは誰?」といったように。フェスティバルが自前で持っている楽器もありますが、中にはレンタルが必要なものもあります。例えば「ボレロ」で必要なタムタム(金属で作られた大型の打楽器)は、大きくて、残響がしっかりとあって、キレのある音が良い。このようなことは、楽器選びの際に話します。
ニルソン:パーカッション・セクションはヴァイオリンとは異なります。同じセクションの中でも、様々な楽器があり、ソロっぽい特徴もあるけど、決してソロではない。自分と同じ楽器を演奏するのは、自分以外誰もいないんです。これが、それぞれが独立していながら連帯感があるパーカッション・セクションの一因かもしれませんね。
指揮台に乗っているのは彼一人ですが、彼は決して、一人じゃないんですよ。
―小澤総監督についてお伺いします。小澤総監督の指揮で初めてSKOで演奏された時のお気持ちを教えて下さい。
竹原:小澤さんの指揮で初めて演奏したのは1995年のことでした。私は桐朋学園の学生で、この年、小澤さんが桐朋のオーケストラを指揮して下さったんです。オケのみんなで長野県奥志賀に1週間から10日程度合宿に行って、チャイコフスキーの交響曲第4番を練習しました。キッセイ文化ホール(当時は長野県松本文化会館)でも演奏したんですよ。この時は、SKOも同じチャイコの4番を演奏した年でした。
実は、小澤さんと桐朋のオケで4番を演奏した後、私は松本に残り、舞台の裏方をお手伝いしていたんです。イス並べや譜面台設置といったお手伝いが終わると、自分の楽譜を抱えて、小澤さんとSKOがリハーサルする様子を見学させて頂きました。2000年に松本に呼んで頂き、フェスティバルで演奏した時は「初めまして!」というより「おかえり!」という雰囲気でした(笑)。
2000年SKF 武満徹メモリアルコンサートV 写真右が竹原さん。
ニルソン:僕が初めてセイジの指揮で演奏したのは、小澤征爾音楽塾(*3)だったと思います。パーカッション・セクションの副講師を務めさせて頂きましたが、たぶんSKOのオーディションも兼ねていたんだと思います。翌2005年春に、小澤さんの指揮で東京オペラの森で『エレクトラ』を演奏しました。『エレクトラ』はとても複雑な作品で、地域固有のリズムやメロディーが散りばめられています。セイジが指揮した途端、複雑に絡み合っていた音がクリアになり、理解できるようになりました。リズムやメロディーがうまくハマっていったのです。まるで、眼鏡をかけたような気分でした。
―小澤さんの指揮で演奏するとは、どういった経験なのでしょうか?
竹原:とても純粋で、力強い。
ニルソン:ナチュラルで、ピュア。100%の音楽がそこにある、という感覚かな。
竹原:まるで、マリネされているような気分になるんです(笑)。演奏し終わった後はサウナに入った後みたいな感じで、すごく浄化される。自分の心と体が強烈なパワーに引き寄せられ、引き出されるので、それを持って行かれないようにこっちもパワーをバーンと出さないといけない。そのやりとりがすごく楽しいんです。打楽器が入る瞬間、必ず小澤さんと目が合います。これは100%そうですね。
ニルソン:セイジがやっているのは、他の指揮者と同じこと。しかし彼の場合はかけるパワーのレベルが違う。彼の純粋さや、音楽に対する混じりけの無い愛、そして集中力が、別次元のパワーの源なんだと思います。おかしな言い方に聞こえるかもしれないけど、"本物だ"って感じるんです。フェイクではなく、演技でもなく、本物があるんです。
竹原:芸術に携わったり触れるということは、感情が揺れるということですよね。感動したり、何かを思い出したり、懐かしい気持ちになったり。そういう全部の気持ちが100%になる。例えば、私はベートーヴェンの交響曲第8番を聴くと、クラリネットとホルンのソロが流れたら涙がバーッと出てきてしまう。すごく懐かしい気持ちや、小澤さんが表現したいことが演奏家たちから最大限に引き出されるんです。
ニルソン:セイジには、上手くいかない部分を直す才能があります。多くの指揮者は上手くいかないことがあるとオケを直そうとする。でもセイジは、まず自分にその矛先を向ける。「僕は何ができるだろう?」と、自分に立ち返るんです。
竹原:珍しいよね。
ニルソン:もちろん音楽家に対する要求もハイレベルですが、それ以上のことを自分自身に問いかけていると思います。
竹原:彼は指揮をしていますが、一緒に音楽を創っているんです。テンポや技術的なことではなく、音楽家を信頼し、私たちの音楽性を100%表現させてくれる度量がある。小澤さんは私たちを尊敬して下さり、自由に考えさせ、感じさせてくれるんです。
ニルソン:演奏家に主導権を渡すときもあるよね。例えばある楽曲のあるパートではこの人に主導権を渡し、それを引き取って、また次の人に渡す。指揮台に乗っているのは彼一人ですが、彼は決して、一人じゃないんですよ。
竹原:小澤さんは演奏家たちと一緒にいます。彼も同じく、音楽家なんです。
―最も記憶に残っている公演は何ですか?
竹原:本当にたくさんあるのですが、2010年のチャイコフスキーの弦楽セレナードと、2004年のバッハのシャコンヌ(齋藤秀雄編)(*4)をキッセイ文化ホールで体験できたのは、私の音楽人生においてかけがえのないものになっています。弦楽セレナードの、響きを通り越して唸りの1楽章。天に昇る天使のような2楽章、悲しみと哀愁の3楽章、未来への想いの言葉を音に託した4楽章。打楽器パートが無いことが悔やまれます...。
演奏会だけではなく、オケの皆さん、小澤さん、スタッフの皆さん、松本市の皆さん、ご飯、ビール、果物、温泉、リッチモンドホテルの受付のお姉さん、コンビニを経営されているご家族、託児でお世話になった皆さんなど、フェスティバルには思い出がいっぱいです。
ニルソン:2008年に演奏した、マーラーの交響曲第1番ですね。この演奏会はCD録音もされました。セイジの存在、オーケストラが生み出す力強いパワーと素晴らしい演奏、熱狂する観客、録音を担当したデッカチーム...。翌年、ヨーロッパから松本に向かう飛行機の中で、飛行機に内蔵されているプレイリストにこのCDを見つけた時は、特別なご褒美をもらえたような感覚で嬉しかったのを覚えています。
2008年SKF オーケストラ コンサート マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」 ニルソンさんは写真中央奥、シンバルの右側。
2012年SKF オペラ公演リハーサル中のオフショット。いつも仲睦まじいお二人。
―ありがとうございました。
*1:2000年9月3日(日) ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール)で開催された、武満徹メモリアルコンサートV。武満徹の数曲に加え、タン・ドゥン:エレジー Snow in June(チェロ:ローレンス・レッサー、パーカッション:高橋明邦、塚田吉幸、菊池清見、竹原美歌)が演奏された。
*2:ふれあいオーケストラ・コンサート ―サイトウ・キネン・オーケストラと1000人の合唱―。2001年9月8日に、松本市総合体育館で開催された大型のコンサート。公募で集まった1000人の合唱団に加え、SKF松本子ども合唱団、ハーレム少年合唱団も加わり、パワフルな演奏が繰り広げられた。
*3:小澤征爾が2000年に立ち上げた、若手演奏家のための教育プロジェクト。「交響曲とオペラは車の両輪である」という小澤の恩師カラヤンの教えのもと、日本を初めとするアジア諸国から有望な演奏家をオーディションで集め、約1か月に亘りオペラを勉強する。彼らを指導する講師はSKOメンバー。
*4:弦楽セレナード ハ長調 作品48は、2010年9月にオーケストラ コンサートで演奏。シャコンヌ(齋藤秀雄編)は、2004年9月に「齋藤秀雄メモリアルコンサート」で演奏された。
インタビュー収録:2020年8月
聞き手:OMF広報 関歩美