後藤和子(あいこ)さん(ヴァイオリン)
桐朋学園をご卒業後、ニューヨークのジュリアード音楽院を卒業し、現在はオーストラリア室内管弦楽団(ACO)で22年にわたりご活躍されている後藤和子さん。小澤総監督には桐朋学園在学中に指導を受け、現在はSKOでの共演や小澤征爾音楽塾にて若手音楽家を共に教える講師でもある遍歴を、愛らしい笑顔で語ってくださいました。
音楽に対しての愛情、そして厳しさを、桐朋時代の先生方や先輩たちから教わりました。
―今日はオーストラリアからリモート・インタビューを受けて頂きありがとうございます。後藤さんが最初にSKOで演奏されたのは、1995年でしたね。
そうです。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」と、ストラヴィンスキーのオペラ『道楽者のなりゆき』が忘れられません。フェスティバルが終わってから『道楽者~』のCD録音が始まったので、この年はかなり長い間、松本に滞在しました。オーケストラの先輩たちが本当にきめ細かくリハーサルをされて、小澤先生も暗譜でなさっていた中で、初めてというのも合わさって、私自身、緊張の毎日でした。
1995年当時は小澤先生と同窓の方も本当に多くオーケストラにいらっしゃったので、やはり同級生同士というか、音楽を一緒に作っていらっしゃる、という感覚でした。小澤先生に質問されたり...。その中に皆さんの真剣な緊張感もあり、自分の先生だった方々が、すごく練習されている姿を目の当たりにして「自分もまだまだだ!」と、打撃というか刺激を感じました。今でも毎夏松本では、参加しては反省して「次回に向けてまた頑張ろう」と刺激を受けて、自分を見つめなおしています。
1995年SKF オーケストラ コンサート チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」より。
SKOに出演したきっかけは、ニューヨークで行ったデビュー・リサイタルでした。ジュリアード音楽院を卒業した年にリサイタルをしたのですが、志賀佳子さん(NY在住のSKOオーケストラ・パーソネル・マネージャー)が聴きに来て下さって、その後お声をかけて頂きました。志賀さんは桐朋の大先輩で、ちょうど私が桐朋を卒業する年に桐朋オーケストラの渡米公演があり、現地で志賀さんは我々のお世話をして下さったのです。そのつながりがあり、リサイタルに来て下さったのだと思います。お声をかけて頂いた次の日は「志賀さんのお言葉は夢の中だったのでは」と思ったくらい、本当に嬉しく、素晴らしい機会を下さった志賀さんには、とても感謝いたしております。
私が桐朋学園に通っていた頃「齋藤秀雄メモリアルコンサート」(*1)のリハーサルが、桐朋で行われていました。桐朋の学生はリハーサルを見学できたので、そのリハーサルに通ったりコンサートにも行ったので、SKOのことは知っていました。自分が教わった先生たちのいらっしゃるSKOで弾かせて頂けるのは、喜び半面とても緊張しました。実は、今でも松本に行く前は緊張しています。
―齋藤先生の、桐朋学園での存在とは?
残念ながら齋藤先生に直接教わったことはなく、私はお話を伺うだけでした。よく耳にしたのは、厳しい先生だった、ということ。オーケストラも室内楽も色々な先生方から教わりましたが、齋藤先生に教わった先生たちは、本当に厳しかったです。レッスンや講習会では数小節ごとに止められて、先に進めなかった。でも、ただ厳しいのではなくて、そこには愛情がありましたね。生徒に対しての愛情もあるけど、音楽に対しての愛情、その全てが交わった厳しさを桐朋時代の先生方や先輩たちから教わりました。"齋藤先生から教わった先生たちから教わっている"という実感は、すごくあります。
SKOの特色は、音が見える、ということ。
―1995年に参加された、最初のリハーサルについて教えて下さい。
地に足が着かないというか、イスにお尻が着いていないというか、終始ドキドキして震えていたと思います。もともと体が小さいから、もしかしたらイスのせいなのかもしれないけど(笑)。でもそんな中、リハーサルが始まった途端に小澤先生のエネルギーに吸い込まれました。緊張とかそういう意識はなく音楽に引き込まれるのと、SKOメンバーである大先輩や先生方が発するエネルギーに導かれた感じです。スタンドパートナー(隣に座る奏者)の方が「悲愴」の時は眞覚多佳子さん(*2)という、クリーヴランド管弦楽団で、第一線で弾かれていらっしゃる方でした。片や私はジュリアードを卒業したばかりだったので「これがプロかぁ」と思いながら、必死でした(笑)。一緒に弾かせて頂きながら、色々と学ばせて頂いた事は今でも忘れられません。
小澤先生には、桐朋の高校と大学のときに何度かご指導頂いていました。ご帰国される度に、フラッと桐朋学園に来て下さっていたのです。自転車に乗って、本当にフラっとね(笑)。そしてオーケストラの授業に顔を出して下さいました。教室のドアが開いた途端に小澤先生のオーラを感じたのは、今でも覚えています。桐朋学園での最後の年でしたが、小澤先生が桐朋の学生をフランスのエヴィアン音楽祭に招待して下さったのです。小澤先生の指揮で、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチさん(チェロ)がソリストという演奏会に出演させて頂きました。それが私の、桐朋時代に小澤先生の指揮で演奏した最後の時でした。学生時代の私たちはまだ幼くて、すごくホワっとしていたので(笑)、小澤先生からは音楽に対する意識や、指揮者を見ること、アンサンブルの姿勢などを厳しく教わりました。私たちの力を、引き出して下さったと思います。
小澤先生の指揮のもとで弾かせて頂くと、一人一人の意識が小澤先生のエネルギーに吸い込まれるのと同時に、形のない深く大きな、無限なパワーを先生が引き出して下さり、一緒に演奏させて頂いている感じです。それは、学生時代もSKOに入ってからも、同じように感じています。小澤先生の音楽に対する姿勢は、学生の前でもプロの前でも分け隔てないと思います。小澤征爾音楽塾でも、お歳を召された今でも生徒さんや若い指揮者に対しての厳しさは常に音楽に真摯に向かわれて、生半可ではないと痛感いたします。
2002年SKF オーケストラ コンサートに向けてリハーサル中の1枚。
―SKOの特色とは?
私自身が感じるSKOの特色は、音が見える、ということ。まるで3Dのように、音に立体感があり、音の渦が巻いている様に見える、そう感じる時があります。大きな音は、本当にダイナミックで、唸るような渦が巻いている様なのですが、音が小さくなるときの繊細さも感じます。ただ小さいのではなく、お客さんもプレイヤーも、その小さな音に息を吸い込まれる繊細さがあるというか。そしてそこには、小澤先生の何百パーセントというエネルギーがある。それは1995年からずっと感じます。そのエネルギーのかけ方は、小澤征爾音楽塾で学生を相手にご指導されている姿を見たときも、同じように感じました。
日本だけでなく海外で活躍する方たちも含め、まるで七夕のように年に一度集まって結成されるのがSKO。異なった場所で活動していた演奏家たちの音が、一つになれるのが特色だと思います。メンバーの方たち皆さんが100%以上の意気込みをもってSKOに参加されていると思うのです。そういう方々のエネルギーに加え、小澤先生が持つ数百パーセントのエネルギーが一つにまとめられて、演奏会が開かれる。齋藤先生から受け継ぎ、小澤先生とメンバーの皆さんが一つの家族みたいな、団結というかチーム感というのが音の全てにこもっていると思います。 SKOでは曲ごとにパートとスタンドパートナーは変わりますが、一緒に弾かせて頂いた全てのスタンドパートナーの方達から、言葉なしでたくさんの事を教えて頂ける喜びも、私は素晴らしい特色だと思います。
大きな夢なのですが、夢は言わないと叶わないから(笑)。
―後藤さんは、ご所属されているACOでも若手音楽家の育成に力を入れられています。齋藤先生から脈々とつながっている厳しい先生方にご指導を受けられてきましたが、いま後藤さんが若手育成の際に気を付けていらっしゃることはなんですか?
アンサンブルへの意識を強く持ってほしい、音楽にまっすぐに、探究しながら、突き進んでいって欲しい、と願いながら指導させて頂いています。だからと言って、私自身が音楽を深く解っているっていう気持ちは無く、まだまだ浅いのですが、でも、何かのきっかけになるように導いていけたら良いなと思っています。
若い子たちはソロで勉強する子が多いので、それをアンサンブルや室内楽、オーケストラなどで演奏することによって、聴く力や視野を広げるきっかけが作られると良いとも思っています。そうすると、音楽に接する喜びと、奏でる喜びと、それに加えて、スコアの読み方や人と一緒に音楽を作れる喜びなど、勉強する視野も広がって、もっと楽しいと思います。
教えるにあたっていつも実感するのは、生徒さん達のエネルギーと努力する姿勢に触れることができ、私自身も生徒さん達から学ぶことがとてもたくさんある、ということ。音楽塾の時には小澤先生を始め、周りにいる他の先生方からも教えて頂く事がたくさんあり、とても刺激になっています。音楽を通してたくさんの方々と音楽を分かち合い、一緒に勉強できる喜びに、とても感謝しています。
2019年OMF 子どものための音楽会に向けて、リハーサルを重ねる小澤征爾音楽塾オーケストラを指導する後藤さん。SKOのリハーサル、公演の合間を縫いながら熱心に 教えて下さっています。
―お若い頃、海外で挫折を経験したり、ホームシックにかかったり、下積み時代がありましたね。ヴァイオリンを続けようと思った理由は?
なにか落ち込むことがあると、いつも原点に戻ります。落ち込み切っちゃった後は「そもそも、なんで私は落ち込んでいるんだろう?」と、落ち込むこと自体にクエスチョンを抱きます。ちろん、上手くなりたいけどなれないから落ち込むのですが、そうこう考えているうちに、「そうか、ヴァイオリンが好きだから落ち込んでいるんだ!」と、気づきます。自身の色々な体験を思い出して、そこからエネルギーが蘇ってくる。SKOでの思い出とか、桐朋やジュリアードの先生方から教わったこと、そのお顔、言葉を少しずつ思い出して、それが全部パワーになって「また一歩ずつ、ゼロからやっていけばいいや」と思うのです。単純なんだと思います(笑)。
そんな自分をずっと見守って、支えてくれた両親にも感謝しています。両親は音楽家ではないし、ヴァイオリンを練習しなさいとも、音楽家になりなさいとも、一度も言われませんでした。
実は、ジュリアードで受けた英語の授業にエッセイのクラスがあったのですが、そこで「あなたのヒーローは?」という宿題が出たとき、私は小澤先生を題材にして書いたのです(笑)。今でも覚えています、"My hero is Mr. Seiji Ozawa!"って。その頃はSKOで弾かせていただけるとは、夢の又夢で思ってもいませんでした。
―後藤さんの夢は?
自分が住むオーストラリアで、SKOと小澤先生と演奏ができたらいいなぁという夢があります。ACOの同僚や仲間達も、SKOと同じように音楽に真摯で、真面目なのです。コンサートの定期公演が毎月あって、オーストラリア中を10か所ぐらい周るのですが、同じプログラムを何十回と重ねているのに、毎回必ず、コンサートの前にリハーサルをします。そしてそのリハーサルごとに、みんなから向上心を持った意見が出る。20年以上ACOを続けていますが、音楽への姿勢はメンバー全員が常に前向きです。それはSKOでも毎回感じます。音楽は世界共通語で、人種や場所が違っても、音楽を大切につくっていく心はどこでも同じだと実感しています。オーケストラでも室内楽でも、自分のACOの仲間とSKOと、一緒にやってみたいですね。大きな夢なのですが、夢は言わないと叶わないから(笑)。
―ありがとうございました。
2014年SKFでのGig公演から。モーツァルトのメヌエット(ディベルティメント第17番K334(320b) 第3楽章)に合わせて、同年ローザンヌ国際バレエコンクールにて1位に輝いた長野県松本市出身のバレエダンサー二山治雄さんが躍るという演出。後藤さんはコンサートミストレスを務めた。
*1:1984年、齋藤秀雄先生の没後10年を記念して開催されたコンサート。小澤征爾の呼びかけにより結成された、齋藤門下生約100名のオーケストラが、後のサイトウ・キネン・オーケストラの基礎となった。
*2:1993、1995、1997年にSKOにご出演頂いたヴァイオリニスト。
インタビュー収録:2020年7月
聞き手:OMF広報 関歩美