フィリップ・トーンドゥルさん(オーボエ)
名奏者が名を連ねてきたサイトウ・キネン・オーケストラのオーボエ・セクション。2010年から名演奏を続けて下さっているのが、フランス出身のフィリップ・トーンドゥルさん。木管楽器の中でも特に難しいと言われているオーボエを、自由自在に吹きこなすトーンドゥルさんの音色にファンの方も多いですが、なんと吹き始めたのは5歳という若さだったとか。
5歳の時は、フルートが好きだったんですよね。
―オーボエを始めた経緯を教えて下さい。18歳の若さで、シュトゥットガルト放送交響楽団(現:シュトゥットガルトSWR交響楽団)の首席に抜擢されましたね。
オーボエを始めたのは、5歳の時でした。フランスには良い音楽教育のシステムがあって、幼い頃から音楽教育を受けられる土壌があるんです。親が、フランスのレ・ルスにある近所の音楽スクールに僕を入れました。僕は最初、フルートがやりたかったんです。5歳の時は、フルートが好きだったんですよね。でもうまくいかなくて、オーボエにしました。オーボエを始めたのは、こういう経緯です。この学校で、15歳になるまで10年間、同じ先生に習っていましたよ。15歳の時にパリに出て、勉強を続けました。そこからは、自分でも驚くスピードで物事が進んでいきましたね。
シュトゥットガルト放送交響楽団首席のオーディションが、人生初のオーディションでした。結果は上々、オーケストラでポジションを頂けました。たぶん、ストレスを感じずに臨めたからだと思います。こうして仕事が始まりました。
―公益財団法人ソニー音楽財団が主催する、国際オーボエコンクールも受けましたね。
あのコンクールは僕の人生にとって、とても大切なものです。なぜなら、小澤さんが僕の演奏を聴いてくれることになった、きっかけだからです。僕の本選でのパフォーマンスを聴いた人が、僕のことを小澤さんに話してくれたそうなんですね。そしたら、小澤さんがソニー音楽財団に連絡をして、僕の音源を送ってくれ、と言ったみたいなんです。
その後、SKOにも水戸室内管弦楽団にも誘っていただき、それを機に、来日する機会も増えました。すべてはここから始まったんです。このコンクールで入賞できたことが、僕の国際的音楽経験のキーポイントになりました。とっても嬉しいです。
―木管楽器の中でも特に難しいと言われているのがオーボエだと思います。子どもの時に吹けるとは、驚きました。
オーボエは難しいです。なぜなら、空気を操るたくさんの技術が必要な楽器だからです。この呼吸の技術は、口の構造と、アンブシュア(管楽器を演奏するときの、顔面の筋肉の使い方や、リードに当てる唇の形)の筋肉と関係があります。練習でどうにかできるものではありません。良いアンブシュアの形が作れたら、演奏に向いています。もちろん訓練もできますが、身体の形態の問題でもあるのです。
ちゃんとしたアンブシュアの形が若いうちに作れれば、有利になります。なので、自分の体や筋肉の形を楽器に合わせて整えられる、若い時から始める方が良いのです。僕は難しくても、子どもの時から始めることに前向きな考えです。幼い子供が出すオーボエの音は、決してピアノやフルート、ヴァイオリンのようにチャーミングな音ではありません。オーボエを始めた頃の音というのは、言い表せない、独特な音です。美しい音が出るまで、何年もかかるでしょう。ただ現在は、楽器製造の技術も進み、子ども向けに造られたオーボエもありますから、子どもが楽器に慣れてから次のステップの楽器に進むといった、積み重ねが可能になっています。
この空気を感じると、自分自身も、音楽と小澤さんに対して
大きなエネルギーと愛を返したくなるんです。
―SKOに初めて出演したのは2010年の夏でした(*1)。出演オファーを受けたときのお気持ちは?
オファーを受けた時のことは覚えています。とても有名なフランス人オーボエ奏者のミシェル・ジブローさんが、SKOで演奏されていましたよね。ローター・コッホさんや、宮本文昭さんといった、本当に有名で素晴らしいオーボエ奏者がSKOには名を連ねていました。なので、オファーを受けたときは興奮しましたよ。信じられなかったです。
―下野達也さん指揮のオーケストラ コンサートにご出演されました。最初のリハーサルのことを覚えていますか?
小澤さんの体調が万全ではなくて、その夏は指揮ができなかったんですよね。下野さんの指揮で、ベルリオーズ:幻想交響曲と、武満徹:ノヴェンバー・ステップスを演奏しました。
SKOの音を最初に聴いたとき、素晴らしいと思いました。とにかく、驚きの連続でしたね。SKOが持つエネルギーと、その集中力。オケの全員が全力を出していました。すべてのインスピレーションが、マエストロ・オザワのために注がれていました。オケの全員が、このフェスティバルを素晴らしいものにしよう、という気概に溢れていたんです。
小澤さんは素晴らしい存在で、深く尊敬されています。オケの皆さんは彼のために、ベストな演奏を目指す。それを、最初のリハーサルからひしひしと感じました。この空気を感じると、自分自身も、音楽と小澤さんに対して大きなエネルギーと愛を返したくなるんです。本当に特別な音とエネルギーを持った、唯一無二のオーケストラだと思います。SKOはまるで大きな家族のようで、それが、他のオケとの違いだと思います。
2010年SKF オーケストラ コンサート 武満徹:ノヴェンバー・ステップス より。
―初年度の思い出や、松本の印象を教えて下さい。
ドイツから成田空港へ、とても長いフライトだったのを覚えています。当時はまだ長距離移動の経験が少なくて、空港に着いたときはヘトヘトでした。成田から松本には、バスに乗っての移動でした。運転手から「じゃ、これから6~7時間の移動です。もしかしたら途中、渋滞にハマるかもしれません」と言われたときは「なんてことだ!」と思いましたね(笑)。 でも、その運転手さんが「大丈夫、松本はその価値がある街です」と言ったのは、間違いではなかったです。
松本に到着して、まず焼き肉を食べに行きました。とってもおいしくて、すごくハッピーでした。時差ボケがあったので、最初の夜は眠れず、松本城まで散歩に行きました。夜の空に浮かび上がる松本城は、それは美しくて、すぐに街と、そして食べ物の虜になりました。本当に、本当に、本当に、幸せでした。
その翌日が、最初のリハーサルでした。SKOが出した最初の音に、ものすごい衝撃を受けましたね。プレッシャーは感じませんでしたが、SKOの素晴らしい音にお尻を蹴られた、というか。「なるほど、これがこのオケのレベルか。俺も全力を出して、最も的確な音を出さなくちゃ」と思ったんです。これは素晴らしい経験ですよ。とてもレベルの高いフェスティバルだと思いますし、そのレベルを保たないといけないフェスティバルでもあります。松本はこの舞台として、最適な場所ですよね。小澤さんは素敵な土地を選ばれたと思います。本当の"楽都"だと思います。
僕には、松本で起こった有名な話があります。フェスティバル期間中に、自転車事故を起こしてしまったんです。背筋が凍る出来事でしたね。
僕と、何人かのSKOメンバーで、三重鮨(SKOメンバーが大好きな松本のお鮨屋さん)からホテルに帰る道でのことでした。いまでも、何が起こったのかよくわからないのですが、自転車のペダルを漕いでいたら、いきなりチェーンが外れて、唇から地面に転んでしまったんです。最悪でした。幸運なことに、怪我をしたのは唇の内側だけ。小澤さんのために来松していたお医者さんが治療してくれて、奇跡的に切り傷はふさがったので、公演では演奏が出来ました。2013年のオペラ、ラヴェル:『子どもと魔法』の時の話です。
今年は松本に行けなくて、本当に寂しいです。松本は、僕らの音楽人生の大切なパートですから。第二の故郷のように感じています。レストラン、友達、好きなハイキングコース、フィットネスセンター・・・すべてが恋しいです。
2013年SKF オーケストラ コンサートより。リゲティ:フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲(日本初演)を、フルートのジャック・ズーンと演奏した。
フェスティバルの公演会場は松本市内に数か所あるが、そのほぼすべてに颯爽と自転車で現れるトーンドゥルさん。夏の暑さもへっちゃら。
―小澤さんの指揮で初めて演奏したのは、ニューヨークのカーネギーホールで開催された、2010年冬の特別公演でしたね。
リハーサルはボストンでやりました。自分にとって初めての渡米でもあったので、とてもワクワクしていたのを覚えています。そこで、小澤さんに初めてお会いしました。小澤さんの指揮で演奏するのは、本当に素晴らしい体験でした。
小澤さんは、最も効率的な指揮の技術を持った、最も感情的にパワフルな指揮者だと思います。技術的な部分を、小澤さんは全面的には出しません。ですが彼の技術を持って指揮をすると、彼が何を求めているかが全てわかるんです。とてもシンプルなのに、彼の要求が全て伝わってくる。これは本当に素晴らしいです。小澤さんは、言葉に出さなくても、言いたいことを最もわかりやすく伝えてくれるんです。
もう一つ感銘を受けたのは、彼のテンポです。小澤さんが持つテンポの取り方は...なんと言ったら良いか...音の動きが素晴らしいんです。リズムにここまで集中して、そしてなおかつ、音楽を生き生きと、そして安定して進められる指揮者はいないと思います。小澤さん以上にこれが上手く出来る指揮者を、僕は知りません。彼は本当に、世界最高の指揮者の一人だと思います。
そして何より、彼は謙虚なんです。時々、オケの音がずれるときがありますが、それはお互いの音を聞いていない、僕ら(オケ)の責任です。だけど彼は「あぁごめんね、ちょっと別のことをやってみたんだけど、合わなかったね。悪かった」と言うんです。彼の音楽家に対する人間性は最高だと思います。彼が僕らを尊敬してくれるので、僕らも彼を尊敬する。最も健康的なコミュニケーションのあり方ですよね。これがあって、オケはまた次のレベルに行けると思うんです。
リハーサル中も、オケがグングン良くなっていくのがわかります。小澤さんのようなスペシャルな人間と演奏すると、自分も良く演奏したいと思うので、いつも以上の力が出るんでしょうね。彼の魂の部分が影響しているのだと思います。小澤さんには、カリスマのような、見えない力がありますし。音楽に対して、常に忠実であるのがわかる。そしてこの姿勢を若い世代に見せるのは、とても大切なことです。だからこそ、小澤征爾音楽塾や小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、小澤征爾スイス国際アカデミーを立ち上げたんだと思います。小澤さんは、自分が音楽に向き合う姿勢、自分の音楽に対する想いを、若い音楽家たちに受け継いでもらいたいと思っている。それを感じたからこそ、僕もすぐにSKOに馴染むことが出来たのだと思います。僕のことを尊重してくれるのを感じて、僕から最高な演奏を引き出そうとしてくれた。だから、僕も小澤さんのことをリスペクトしています。これは、目と目を見て経験することですね。
2019年OMF オーケストラ コンサートのリハーサル風景。
モチベーションの維持に必要な大切なポイントは、
様々な演奏活動を続けることだと感じています。
―2019OMFでの「ふれあいコンサート」(室内楽)公演についてお伺いします。オーボエトリオ3人での演奏でしたが、なぜこのトリオで演奏しようと思ったのですか?
マックス・ヴェルナーとマティユー・ペティジョンがSKOのメンバーなのは、本当に嬉しいことです。実は、このトリオを結成したのは、僕がボンでベートーヴェン・リング賞を頂いた8年前。オーボエ奏者としては初めての受賞でした。その受賞コンサートでベートーヴェンのプログラムを演奏しなければならなかったのですが、ベートーヴェンがオーボエに向けて書いた曲はトリオ演奏のみ。ソナタやコンチェルトはなく、トリオ以外は無いんです。当時、マチューとマックスは勉強仲間だったので、彼らに声をかけて、プログラムを組み、室内楽のグループを結成しました。SKOに3人そろっていたので、一緒に演奏出来て良かったです。公演もとっても楽しかったですよ。
僕が2019年の前に松本で出演した室内楽は、室内楽のなかでも大きな編成が多かったので、もっと小さくて、一種類の楽器に絞った室内楽をやりたかったのです。そこで、ベートーヴェン・プログラムに行きつきました。オーボエのトリオのための曲というのは、実は少なくて、今回演奏したベートーヴェンの2曲とハイドンのトリオくらいしかないんです。2020年はベートーヴェンの生誕250周年を迎えるということもあり、良いきっかけでもありました。
松本のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール)は大好きな会場なので、あそこで室内楽を演奏できるのは最高です。音楽家にとって、フェスティバルで共演するほかの音楽家たちと室内楽を演奏するのは、とても大切なことなんですよ。彼らの音楽性をより深く知ることが出来ます。一緒に音楽を作り、彼らの人となりを知り、演奏する。オーケストラで演奏する際の手助けにもなります。小澤さんがこの機会を我々に与えてくれるのは素敵なことです。なので、機会があれば、どのオーケストラ・メンバーも室内楽をやるべきだと思います。親しい音楽家同士になっても、やるべきです。お互いの音を聴きあい、学びあい、そしてさらに良い音楽家になるための発見がありますから。
2019年OMF ふれあいコンサートIIでのオーボエトリオ演奏。左からトーンドゥルさん、マックス・ヴェルナーさん、マティユー・ペティジョンさん。
―オーケストラへの出演だけではなく、室内楽にも挑戦され、そして次世代のオーボエ奏者の教育にも熱心ですね。その情熱はどこから?
オーボエ奏者としてモチベーションの維持に必要な大切なポイントは、様々な演奏活動を続けることだと感じています。オーボエは色々なことが出来ます。オーケストラでも、室内楽でも、ソロでも、リサイタルでも演奏できるし、もちろん教えることもできる。これらすべてを大きな一つの輪と考え自分の活動を続けていけば、たくさんの可能性に出会えるし、常に違うことを、異なるレベルで考えることが出来ます。これが、僕のモチベーションの秘訣です。
生徒に教えることで、生徒から学ぶこともあるし、僕が僕自身について学ぶことがある。なので、教えることは大切です。自分が自分の先生になれるなんて、素敵ですよね。室内楽も、もちろん大切です。聴く大切さを再確認し、様々なレパートリーをさらに深く勉強する機会になるから。オーボエ奏者にとって、これは特に重要です。オーボエは、オーケストラの中で演奏していても、常に室内楽を演奏しているようなものだからです。木管楽器セクションに集中し、リードしなければなりません。
もちろん、オーボエはオーケストラの楽器でもあるので、オーケストラでの演奏も大切です。どのオーボエ奏者も、どこかのタイミングで一度はオーケストラで演奏すべきだと思います。オケには、オペラや交響曲とたくさんのレパートリーがありますし。それらの楽曲について学ぶのは、とても大切です。
また、オーケストラのなかでもソリスティックな楽器ですから、リサイタルやオーケストラと共演するコンチェルトも大切です。自分の創造性や想像力、そして演奏技術といった能力を引き延ばしてくれる、大きなきっかけになるからです。自分の能力が上がれば、オーケストラにも還元されます。すべての演奏活動がつながっています。どの演奏活動も楽しいですよ。もしオーケストラだけでしか演奏出来ていなかったら、僕はきっと満たされていないと思います。僕には教えることも、室内楽も、すべてが必要で、それがあってこそ、完璧だと感じます。いつも違うので、だからこそ、モチベーションが生まれます。同じ日は一日だってありません。これが、僕の情熱の源ですね。
―ありがとうございました。
*1:2010年、サイトウ・キネン・オーケストラは夏の松本と冬のニューヨークで公演をした。冬の公演は、小澤を芸術総監督に迎え、カーネギーホールほかニューヨーク市各地で2期(2010年12月/2011年3~4月)にわたって開催された「日本文化と芸術の探求=JapanNYC」での公演。SKOは2010年の冬季オープニングに登場し、権代敦彦:デカセクシス、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番(ピアノ:内田光子)、武満徹:ノヴェンバー・ステップス(以上すべて下野達也 指揮)、ベルリオーズ:幻想交響曲、ブリテン:戦争レクイエム(以上小澤征爾 指揮)を演奏した。
インタビュー収録:2020年7月
聞き手:OMF広報 関歩美